少女の祈り

 

 ぼくは夢を見る。炎が轟々と燃え盛り、その中心に男が立っている。彼がにやりと口を歪めると、決まって夢から覚めるのだ。

 

「おはようさん」

「おはよう」

「おはようございます」

「おっす」

 職人達はそれぞれに挨拶を交わし、工房へ入って行く。クリスもその一人だった。ここは城が見えるほどの近さにある、とある鍛冶屋。

「さあ、お祈りをしよう」

 皆が炉に向かい、手を合わせる。城のさらに向こう側に大きな山がそびえている。そこには火の神がいて、この国を見守っているのだ。鍛冶を行う全ての職人達にとって、炉に向かい火の神に祈りを捧げることは毎朝の日課だった。

「おっし、今日も頑張るぞ! みんな!」

「おう!」

 親方の号令に元気よく職人達は応えた。持ち場につくためわらわらと散りながら皆それぞれクリスの頭をぽんぽんと撫でたりちょいと小突いたりしていった。この工房ではこれも毎朝の日課だ。クリスはこの工房では一番小柄で、全員の弟のように扱われていた。可愛いクリス。でも本当の名はクリスティーナ。彼女は女性だった。

 髪を短く切り、暗い茶髪で緑に茶の混じったの瞳の、いつも帽子を目深く被っている小柄な少女。クリスは昔から鍛冶職人に憧れていた。美しい剣を作る行為がとても神聖だと思っていた。しかしこの国では鍛冶職人は男がなる職業であり、女性の職人はいなかった。火の神は工房に女性が入ることを嫌うとされていたため、クリスはこれまで性別を偽り仕事をしてきた。工房の仲間は全員この秘密を共有している。例え女性であろうと、クリスはもう立派な職人の卵だった。

 

「なぁクリス」

「なんだい」

 手元の作業を続けたままクリスは答えた。

「あのよ、この前の誘い本当に都合つかないかな…」

 もそもそと若い職人が聞くと、クリスはちらりと目線だけ彼に向けた。男は、アランはクリスと目が合うと恥ずかしそうに目を逸らしてしまった。彼の顔はほんのり赤い。

「何度も、行けないって言ってるじゃないか」

「いや、でもさ……」

「しつこいぞ」

「……ごめん」

 アランはしゅんとしてしまった。この前からアランはクリスを遠出に誘っているのだが、ことごとく断られていた。

「このやりとり、何回目だろうね」

「お前が誘いを受けてくれたら、繰り返さなくて済むんだけどな」

「絶対やだ」

「だろうな……」

 アランははぁ、と溜め息をついた。

「アラン」

「うわぁ!」

 いつの間にか後ろに居た親方に声をかけられて、アランの心臓は飛んでいってしまいそうだった。

「おお親方ァ!」

「色気のことばっかり考えてぼーっとしてると、火の神様に腕とって食われちまうぞ」

「うう、うぇい……」

 返事になっているようないないような返事をしてから、アランは溜め息をもう一つついて手元の作業に集中することにした。クリスはアランの情けない返事が可笑しくて、声を出さないようにそっと笑った。

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさいクリス」

「おかえり、クリスちゃん」

 いつものように日が暮れてから家に帰ると、姉夫婦がクリスを出迎えた。

「今日も遅かったのね」

「うん、もうそろそろ品評会があるからね」

 この国は鍛冶が主な産業である。王室は数年に一度、職人達に対して課題を出しそれに沿った剣を作らせるということをしていた。この催しに決まった名前はなく、ただ単に”品評会”と呼ばれていた。

「今年は作品出すのかい?」

「ぼく? もちろん出すよ。今年は久しぶりに個人の部があるんだって」

「まあ、じゃあクリスに精のつくものいっぱい食べてもらわなくちゃ。そうそう、ご飯食べるでしょう? それとも先にお風呂にする?」

「腹ぺこだからご飯先にするよ」

「わかった」

 姉はにこりと笑うと、台所へと移動した。手を洗って席につくと、大好きなシチューが出てきた。

「わぁ、姉さんのシチュー!」

 クリスは笑顔でそう言うと、具沢山のシチューを口にめいっぱい頬張った。

「うん、おいひい」

「もうクリス。そんなにがっつかなくてもシチューは逃げないのよ」

「仕方ないさ、フローラ。君のシチューは世界一の美味しさだもの」

「まあ、おだてちゃって」

「ははは、本当のことだよ」

 姉夫婦の仲の良いやり取りを横目に、彼女はシチューをぺろりと平らげたのだった。

 

 夕飯も風呂も済んだ後、クリスは自室のベッドでぼうっと座っていた。品評会に出す作品をどうしようとか、アランは相変わらず自分を誘ってくるなあとか。色々なことをぼんやり思い浮かべていた。ぼんやりしている内にだんだん眠気に誘われて、クリスはそのまま横になった。うたた寝の間、毎晩見るあの夢を見た。炎が轟々と燃え盛り、その中心に男が立っている。彼がにやりと口を歪めると、決まって夢から覚める。いつもならそう、ここで目が覚めるのに。

 炎の中にいる男の口が……動いた。

「クリス」

 ばっと身体を起こした。胸が早鐘を打つ。いつもの夢のはずだった。何故だか炎越しなら安全だと思っていた彼に、名を呼ばれただけでクリスは酷く動揺していた。あの男が自分のところに来る? そんなことが頭に浮かんだ。クリスは頭を振って考えを吹き飛ばすと、今度こそ眠るためにベッドに潜った。同じ夢を見るのが怖かったが、その夜はもうあの夢の続きを見ることはなかった。

 

 翌朝、クリスは珍しく寝坊をした。慌てて支度をして工房に着いたが、まだ頭はぼんやりしていた。

「おいクリス、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」

「ああ親方。大丈夫ですよ。ほら、元気元気」

 腕をぐるりと回し気丈に振る舞ったが、正直昨晩のことが頭から離れずクリスは手元に集中出来ないでいた。

「……何かあったのか? まさかアランの奴とうとうお前に手を出したりなんて――」

「違いますよ親方! 全然そんなことは! アランは関係ないですし、ええと、うんと……」

「……話しにくいことか?」

 親方はクリスにとってはもはや父親も同然の存在で、姉妹共々昔から親方一家には世話になっていた。大抵の相談ならいつもしていたし、相談出来ないことの方が少なかった。しかし――。

「……親方にも、この話は今までしてなかったんですけど……」

「言ってみろ」

クリスは夢の情景を思い出しながら、ゆっくり話した。

「えっと……夢を、見るんです。いつも同じ夢を。轟々と火が燃え盛っていて、その中心に男が立っているんです。彼がにやって笑うと、決まって夢から覚める。いつもその夢を見るんです。毎日、毎日……」

「ほう、初めて聞いたな」

「姉以外に話したことなかったので……」

「ふうん、それで?」

「昨日はうたた寝して……同じ夢を見て……でも、いつのも夢と違ったんです。その男が…そいつが…ぼくの名前を呼んだんです、クリスって。それがなんだかすごく怖くて、酷く動揺して……。そのせいか、今日は眠りが浅くてずっとぼうっとしてしまって……」

「うーん、そうか……」

 夢ねぇ、と親方は呟いた。しばらくううんと彼は何か考えていたが、あまり良い答えに行き着かなかったらしく、代わりにクリスをぎゅうと抱きしめた。

「わっわっ」

 急に抱きしめられて驚いたが、久々の親方からの抱擁にとても安心した。作業着の布擦れが痒かったが、彼はそんなことはお構いなしだった。

「大丈夫さ、何も心配いらん。俺がついてるからな」

「……そうですね。親方がいれば百人力です」

「そうだろう!」

 親方はたくましい二の腕を掲げると、力こぶを作ってムゥンと唸った。それを見たクリスが笑顔になったのを見ると、親方もにっかりと笑った。

 

 

 

 クリスはその日を境に、あの夢を見なくなってしまった。最初は酷く不安だった。物心ついた時にはもう見ていたあの夢。毎朝毎朝、あの夢と共に眠りから覚めた。しかしそれもしばらく経った頃には慣れてしまい、夢を見ないことに違和感を感じなくなった。

 

 それから数週間後、品評会の数日前。職人達はそれぞれ品評会用の剣の仕上げに取りかかっていた。クリスはもう剣そのものは完成させてしまっていた為、最後の磨き上げを行っていた。品評会がある年のこの時期は、まず通常の業務は行わない為これが終わってしまうと暇になってしまう。品評会の日が来て欲しいような来て欲しくないような気持ちに、クリスはなっていた。

「ああ」

 クリスは工房の物置で自分の剣を眺めながら、資材に腰掛けたまま溜め息のような嘆きのような声を出した。

「品評会までの数日が遠く感じる……早く過ぎちゃえば良いのに」

 そんなことをぼやいていると、不意に後ろから声をかけられた。

「もったいないこと言うなあ」

 クリスはぞくりとした。男の声はあの夢で聞いた声そのものだった。怖くて振り向けず、クリスはその場に固まってしまった。

「よお。おい? なぁクリス。ちょっとつれねえんじゃねえのか? こっち向いてくれたっていいだろう?」

 あのにやにやした顔で言っているのが、声で分かった。答えたくとも声がひりついて、出てこない。

「俺が誰だか分かってるだろ? クリスティーナ」

 微動だにできないクリスに、男は近づく。

「品評会に出すのはこれか?」

 後ろから手が伸びてひょいと剣を持ち上げた。

「お前らしい剣だな。随分小柄だが。ははぁ、さてはあんまり自信なかったな?」

 恐怖に固まっていたが、その一言でむっとしたクリスは腰を持ち上げ言い返した。

「違う! 品評会の中で目立ちたくないだけだ!」

「一緒だろ」

 振り向いたクリスの視界に入ったのは、燃えるような赤毛の髪だった。男は背を向け、いつの間にかクリスの後ろに座っていた。男の背中を見て、立ったらきっと背が高いだろうということが分かった。顔は分からないがそれでも通りを歩いていたら女性達が思わず振り向くような男前なのだろうと、自然とそう思った。クリスは男に背を向けて座り直した。

「……自信がないのと、目立ちたくないのは違う」

「俺からすればその二つは同義だ」

「ぼくからしたら違うものだ」

「頑固者」

「よく言われるよ。それよりぼくの剣早く返して」

「いやだね。じっくり見たい」

「……粗末に扱うなよ」

「俺がお前の剣を粗末に扱うわけねえだろ」

「なにそれ……あれ、そう言えばお前どうやってここに入ってきたの?」

「”お前”か。随分雑な呼び方だな、仮にも俺に向かって」

「だってぼく、お前が誰だか知らないし」

 男は後ろを向いたままクリスに剣を返した。剣を受け取ると、クリスはもう一度男を見た。男が振り向く。視線が重なる。男の顔はやはり魅力的で、街を歩けば女性達が思わず振り向くような容姿だった。撫でつけられて後ろへまとまった短い赤毛、見たこともない金と銀の瞳。鼻筋の通った、柔らかそうな美しい唇の、整った顔。

「俺の名前なんかどうでも良いよ」

 男はにやりと笑った。そう、その顔を、いつも見ていた。彼はあぐらをかいた状態で身体ごとクリスに向き直って、にやにや顔のまま続けた。

「なぁクリス」

「……なに?」

「今の俺をどう思う?」

「はあ?」

 問われて彼女は改めて男の容相をまじまじと見つめた。品のいい服を着ている。いいや、品が良すぎた。彼はまるで、そう――。

「……あんた、貴族かなんか?」

「違うよ」

「……王族?」

「服装だけで言うなら、正解」

「あんた自身は王族じゃないの?」

「違うよ」

「ええ? なにそれ……王族じゃないのになんで王族の服を着てるのさ……あ、まさか盗んだ?」

「人聞きの悪い。ちげえよ」

「えー……」

「あのな、俺の容姿がどうだって聞いてんだよ……もういいよ」

 男は拗ねて頬杖をついて横を向いてしまい、妙な沈黙が二人の間に流れた。

「……まさか格好いいとか、そういうことを言って欲しいわけ?」

「ふん」

「うわ、ガキっぽ……」

 そこまで言いかけたところで、男はぎゅっとクリスの鼻をつまんだ。

「んわー! なにするんだ! 鼻をつまむな! あんたは子供か! 痛い! 離して!」

「うるせえ色気なし。もう少しちゃらちゃらしろ」

「ぼくはいいの! だって鍛冶職……」

 そこまで言ってクリスは今更はっと思った。この男は自分が女性でありながら鍛冶職人であることを知っている。鼻をつまんでいた男の腕を引き剥がして、クリスは言った。

「おおお前! なんでぼくの名前やらこの工房で働いてること知ってるんだよ! すごい今更だけど!」

「はあ?」

 男の顔がぐっと、もう少しで口づけてしまいそうな程まで近づく。

「今更何を言っている。夢で会ってただろ、毎日」

 お前のことは大体知ってる。と、そう言うと男は姿勢を戻した。

「そうだ……夢。ねえ、あの夢見なくなっちゃったんだけど……どうして?」

「……お前が怯えたからやめたんだよ」

 彼はなんだか寂しそうにそう答えた。

「……お前は酷い奴だ」

 そっと自分の両手でクリスの右手を包み込むと、そのまま男は彼女の指に口づけた。そしてそのまま立ち去るべく、その場から立ち上がった。クリスは口づけに動揺して、顔を赤くしたり青くしたりしていた。

「な! なな、なん……!」

「品評会、頑張れよー」

 顔を上げて、この変態! と言い返したその時には、彼の姿はもうなかった。

 

 

 

 そして、いよいよ待ちに待った品評会当日。その朝、クリスは久しぶりにあの夢を見た。燃え盛る炎の中、彼が立っていた。金と銀の瞳がこちらを真っすぐ見つめている。表情は分からない。何か一言二言彼が言ったのが分かったが、聞き取れずに目が覚めてしまった。

 

 品評会は午前中に王族の家臣達が工房別に評価を付け、午後は全ての剣の即売会、そしてその後はそのまま宴会になるという内容だった。王族たちも護衛らしい護衛は付けずに国民達と共に品評会を楽しんでいた。品評会に出される剣のほとんどは毎回、大抵が鑑賞用として作られており護衛が張り付く必要性はなかったからだ。それに他の国に比べこの王国は上下の階級の差別意識が少ないということも、この状況をますます許した。

 

「……」

 今朝の夢に気を取られて、クリスは午前中はほとんど上の空だった。一体彼は何者なのか? どうして名乗らなかったのに自分の名を知っていたのか? どうして夢でいつも出会うのか? 考える程にクリスはよく分からなくなっていた。親方やアランは心配そうにぼんやりした彼女を見守っていた。

 午後になり、即売会が始まった。様々な人がそれぞれ目当ての剣を買いに走ったり鑑賞しながら歩いたりして、会場は賑やかになっていた。クリスは、親方や仲間と交代で店番をしていた。本当なら前回のように他の工房の作品を見に走り回る予定だったが、そんな気分にはなれず自分の作品の近くで相変わらずぼうっとしていた。

「こちらの短剣は、どなたがお作りに?」

 クリスの剣を指し、そう訪ねたのは彼女自身とそう歳の変わらない王族の少女だった。この人、どこかで見たことあるな。そう思いながらクリスは立ち上がり答えた。

「その剣の作者なら、ぼくです」

 視線が交わされる。明るい茶髪に、美しい緑の瞳の少女。長い髪はゆるく曲線を描いてその美しい顔をより際立たせていた。綺麗な娘さんだな、と素直に思った。まるで絵本に出てくる王女様のような……。ん? 王女様?

「あっ」

 クリスは思わず声を上げた。見たことがあるはずだ。そう、彼女はまさにこの国の第一王女だった。よく見ると回りに数人、護衛がちらほらいるのが分かった。さすがに王女を一人で歩かせるわけにもいかないのだろう。その王女の後ろから、ゆるりと顔を出した男がいた。瞳の色が金と銀ではなく青だったが、間違いなく今朝も夢に見た彼だった。

「げえ! お前!」

「げえとはなんだ。傷つくなぁ」

「あら、お知り合いですの?」

「今さらなにを……お前の大好きな子さ」

「まあ、ではこの方が?」

「そうだよ」

 王女とこの男はどうやら親しいらしく、慣れた会話をした。クリスは二人のやり取りを見てなんだかもやりとした気持ちになったが、気のせいだと自分に言い聞かせた。

「そうでしたのね。美しい剣を作るお方だとこの方から聞いておりましたの。クリスティーナさんでしょう? わたくしは第一王女、アンジェリカ。どうぞよろしく」

 王女アンジェリカは微笑みながら名乗った。

「ああ、ええと。はい、ぼくがクリスティーナです。あれ? ぼくが女だって知ってる!? お、お会い出来て光栄です。王女様」

「アンジェでいいわ。貴方のことはクリスと呼んでもよろしいかしら?」

「は、はい」

「まあ、そんなに緊張しないでクリス。同じ歳の女の子とお喋り出来る機会は貴重なの」

 王女はクリスの両手を取りきゅっと握った。色白で細い指をした彼女の手は柔らかかった。職人らしい節のある指になっている自分の手とは対照的で、クリスは思わず見とれてしまった。

「王女さ……えと、アンジェリカ様」

「アンジェ、よ。敬称はいらないわ」

「あの、でもそういうわけには……」

「呼び方なんてどうでも良いだろ」

 横から口を出した彼をクリスはきっと睨んだ。

「うるさい。お前は黙ってろ。今ぼくはこの方とお喋りしてるんだ」

「おおそうか。じゃあくっちゃべってないでさっさと用事済ませてくれ、お嬢様方」

「そうでしたわ、貴方の剣が欲しいの。おいくらかしら?」

「あっ、ええと。実は値段は決められなかったので、その……アンジェリカ様のお好きな額でいいです……」

 アンジェよ、と王女はむうと頬を膨らませた。すぐに近くにいるお付きの者を呼ぶと、小切手を出させサラサラと額を書かせた。

「このくらいでよろしいかしら?」

 予想の三倍程の額を呈示されて、クリスは困惑した。

「ええっ」

「あら、少なかったかしら?」

「とんでもない! これでは多すぎます……」

「そんなことないわ。いいのよ。このくらいはもらってちょうだい」

 王女はクリスの手を取り小切手を握らせて、ね? と念を押すように笑った。クリスが困り顔で笑うと、親方が戻ってきた。お客が来ていると分かると軽く会釈をしたが、彼女が王女だとは気付かなかったようだ。

「親方、おかえりなさい」

「まあこの方がこちらの御主人? 初めまして。今、クリスの短剣をわたくしが買い受けたところですの」

「おお、そうでしたか! 良かったなあクリス」

「うん」

「ねえクリス? 貴方が良ければこの後一緒に見て回らない? 貴方とお喋りしたいの」

「え、でも店番が……」

「いいっていいって! 行っておいでクリス。店番なんて気にしなくていい」

「そ、そう? 親方がそう言うなら……」

「嬉しい! 御主人、ありがとうございます。さあ行きましょうクリス」

「う、うん」

 

 

 

 アンジェリカに手を引かれ、クリスは品評会を見て回った。少し遅れて、夢の男がついてきている。そういえば王女は彼のことを知っているようだったし、名前を聞いてみてもいいかなと彼女は思った。

「あの、アン……アンジェ」

 アンジェリカは呼び名に満足そうに笑うと、なあに?と答えた。

「貴方と一緒に来ている……後ろにいるあいつだけど、まだ名前を教えてくれなくて。彼の名前を知ってますか?」

「あら、愛しのクリスに自ら名乗っていないなんて。照れてるのかしら? 彼はフィアと名乗っているわ」

「い、愛し……?」

「彼は貴方が大好きなのよ」

「は、初めて聞きました……」

「まあ、そうなの」

 素直じゃないのね、とアンジェは言った。彼が……ぼくを好き? クリスは振り向いて彼を見る。フィアは視線に気付いてこちらを見ると、またにやっと笑った。いつものあの顔やこの前の態度からして、そんな素振りはちっとも感じないけどな。と、彼女は思った。

 しばらく歩いた後、フィアがまた寄ってきたのでクリスは一言文句も言ってやりたかったので話しかけた。

「なあおい、アンジェにお前の名前聞いたぞ」

「へえ、そう」

「なんで名乗ってくれなかったんだよ」

「なんでだっていいだろ」

「はあ? 名前くらい教えてくれたっていいだろ?」

「そういう気分じゃなかったんだよ。なんだよ? 文句あんの?」

「大いにあるね」

「あっそう」

 二人のやり取りを見たアンジェは、なんだか子供の喧嘩みたいね、とくすくす笑った。

 

 即売会も無事終わり、日が暮れ始めると国王や王女達がそれぞれ挨拶をし、宴の時間になった。クリスはアンジェに指名されて踊りの相手、もとい手ほどきを受けることになってしまった。人前で踊ることも踊りそのものも初めてだった。しかしアンジェは気取った踊りではなく踊りの分からないクリスでも踊れるような振り付けをしてくれたので、互いに人目も忘れ久しぶりにはしゃいだ。

しばらく踊って疲れた二人が木陰で休憩していると、先程まで姿を消していたフィアがするりと現れた。

「随分とはしゃいでたなお嬢様方」

「フィア様」

「あれ、お前どこにいたんだよ」

「ちょっと私用を済ませてきた」

「ふうん?」

 フィアは周りにいる護衛に散るよう指示すると、二人の前に座った。

「どうしましたの?」

「少々真面目な話だ」

 青かったフィアの瞳が、宵闇の中でも輝く金と銀の瞳に変わる。

「なんだよ、改まって」

「第一王女アンジェリカと、そしてこの国の将来についてだ」

「え」

 アンジェリカはそれを聞くとすっと座り直し、王女らしい顔つきになった。急な展開にクリスはついていけていなかったが、アンジェが手を重ねて大丈夫よと言ってくれたので落ち着いて聞くことが出来た。クリスも座り直し、二人はフィアの言葉を待った。

「王女アンジェリカ」

「はい」

「お前はいずれこの国を継ぐだろう。これは既に決まったことだ」

「ええ、国王の血を継ぐ男児がいない我が王家ではそうなります」

「お前が女王になるまでに、三本の剣が必要になる。正式な跡継ぎとして国民に迎えられる時。成人する時。そして女王に即位する時だ」

「はい」

「その三本の剣は、全てクリスに作らせろ」

「!?」

「承知致しました」

「ちょ、ちょっと待った!」

 クリスは思わず立ち上がりかけた。

「なんだ。自信がないとかいうのは聞かないぞ」

「ぼ、ぼくに選択の余地はないの!?」

「ない」

「そんな急な……」

「今日お前達を引き合わせたのはこれが理由だ。生涯の付き合いになるだろうな。相性は良さそうだし特に心配事はないと思うが、どうだ?」

「わたくしはもうクリスが大好きになりましたわ! クリスはどう?」

「え、ええ……? そりゃあアンジェはとても優しいからぼくも好きだけど……いや、そうじゃなくて! アンジェの儀式用の大切な剣を全てぼくに手掛けろっていうの!?」

「そうだ」

「そ、そんな……あまりに急だよ。というか、ぼくまだ見習いだし。そ、そもそも性別偽ってこの仕事してるのにそんな公の場にぼくの剣が出たりしたら……」

「大丈夫よクリス。火の神に認められた貴方は、女性鍛冶職人として公の場に出ても何も問題ないわ」

「火の神に認められてる? ぼくが? いつ?」

「お前……いつも見る夢で多少察しはつかなかったのか?」

「え?」

 その場に沈黙が流れた。クリスはしばらく考えて思い至ったことを口にした。

「まさか……お前が火の神?」

「そうとも」

「そんなの! 聞いてない!」

「今初めて言ったからな」

「ふ、ふざけんなー!」

 

 クリスは頭を抱えてその場に伏せてしまった。嬉しいやら恥ずかしいやら悔しいやらで、耳まで真っ赤になってしまった。

「火の神は昔絵本で見た、親方みたいに恰幅の良くて筋肉隆々の格好いいおじ様だと思ってたのにー! よりによってこんな奴だなんて!」

「悪かったな素敵なおじ様じゃなくてよ」

「うわーん! 憧れの火の神の理想像がぶち壊しだー!」

「あらまあまあ……落ち着いて、クリス」

 アンジェはクリスを起こし肩を抱いて落ち着かせた。余程動揺したのかクリスは少し涙目になっていた。アンジェはハンカチを出すとクリスの涙をトントンとぬぐった。

「酷い。あんまりだ」

「今一番酷いのはお前の顔だよ」

「うう、フィアの馬鹿……」

 不意に名を呼ばれたのが嬉しかったのか恥ずかしかったのか、フィアはふいとそっぽを向いてしまった。それを見てアンジェはあらまあ、と呟いた。

 

 

 

 品評会の日に色々なことが起こりすぎて、クリスはしばらくぼんやりしたり考え込んだりする日が続いた。夢は相変わらず見た。ただ火の神フィアとより親密になったせいか、以前より夢をはっきり見るようになってきていた。彼と一言二言他愛もないことを話すと目が覚める。そんな日が続いたある日の朝、クリス達の工房に城からの使いが来た。第一王女の王位後継儀式のための剣を作るよう、正式な依頼が来たのだった。

 王女がクリスの腕を見込んでいること、火の神がクリスを職人として認めていること。今後も王女から依頼がくるであろうことが工房の職人達に告げられた。唐突な知らせに職人達は驚いていたが、自分達にとって大切なクリスが神と王室に認めてもらえたのだと実感すると全員が喜んだ。使いの者達が帰ると早々に、クリスは仲間達に胴上げをされたり抱きしめられたりして祝福された。親方はクリスの為にある程度の人数を割いてくれた。必要になったら何でも言ってくれと、工房の全員が協力してくれた。

 

「ううん……」

 正式な依頼が来て数日経った頃、クリスは剣の外観で悩んでいた。美しい王女アンジェリカ。彼女が携えた時に恥ずかしくないような立派な剣をと思い、考えれば考えるほどクリスは悩んだ。

「王女にどんな見た目が良いか聞いてきたいなぁ……でも市民が城にひょいと入れるわけないし……」

 休憩時間さえ惜しくて、クリスはいつもの工房の物置で資材を机代わりにし構想を練っていた。

「試す前に諦めるとはお前らしくない」

 声のする方を向くとフィアがにんまり顔で壁に寄りかかっていた。今日は金と銀の瞳だ。

「……神様がそんなにほいほい人間の前に出てきていいものなの?」

「お前は特別だからな」

「そう、そりゃありがたいことだね」

 フィアはクリスに近づき、彼女が机代わりに使っていた資材に腰掛けると散らばっている剣の下書きをかき集めて見始めた。

「勝手に見るな」

「はいはい見せてください……お、これいいんじゃねえの? 俺はこれが良い」

 フィアは下書きの一枚をぺらりと見せたが、それは一番最初に思いついただけのものでクリスはあまり気に入っていなかった。

「えぇ、それ? それそんなに気に入ってなくて。地味だし」

「地味か? お前らしい良い曲線だと思うけどな」

 案を練れば練るほど自信をなくしつつあったクリスは、うつむくようにぼやいた。

「……ぼくらしいって何だろう」

「素朴で優美な曲線」

 ほとんど自問自答だった呟きに、フィアは間髪入れずに答えた。クリスは不思議そうにフィアを見上げた。にやついた顔ではなく、穏やかにその下書きを見つめていた。

「派手にしたいならこれを土台に少し装飾を入れると良い」

「……剣の形が派手じゃなくてもいいってこと?」

「そういうこと」

「うーん……ぼくらはそれで良くても使うのはアンジェだからな」

「そうそう、アンジェリカはお前の好きに作って欲しいって言ってたな。今日はそれを伝言しに来た」

「それを早く言えよ……」

「クリスに初めてもらうものだから、情報は一切来ない方が嬉しいんだと」

「そう……」

「で、これはアンジェリカからの手紙」

 フィアは懐から手紙を出した。

「だから! そういうのは一番初めに出せよっての! もう!」

 手紙を受け取るとすぐに目を通す。美しい文字で『依頼の剣はクリスの思うように作って欲しい。無理をして身体を壊さないようにして欲しい。なにか困ったらすぐ連絡して欲しい。特に用事はなくともお城には気軽に来て欲しい』という内容が綴ってあった。

「……手紙に大体書いてあるじゃん、全くもう……」

 むくれながら手紙を閉じると、視線を感じたので隣を見た。フィアはじっとクリスの顔を見つめていた。見つめる瞳の奥に表情らしいものが窺えず、どうしたものかとクリスは少し反応を待った。見つめ合ったまま沈黙が流れる。

「……なにさ。人の顔真面目に見ちゃって。なんか顔に付いてる?」

「いいや」

「じゃあ、なに?」

「別に……なにも?」

「なんだそれ、変な奴……」

 クリスは仕事場に戻ろうと立ち上がったが、フィアはその場から微動だにしない。

「お前、もう用事済んだんだろ?」

「まあな」

「……帰ったら?」

「……」

 彼は頭を後ろの壁にごちんごちんとぶつけながらむすっとした顔をして、まだそこから動こうとしなかった。今までも拗ねてそっぽを向いてしまったり、気まずくなったら横を向いたりしていたので今回もそんな感じだろうなとクリスは思った。

「あのさ……なにか言いたいことあるなら言ってくれないと、分かんないよ?」

「べえっつになにも」

「じゃあお仕事に戻ったら? 神様」

「……やだ」

「もう! なんなの!」

 むすっとしたままのフィアだったが、しばらくしてぼそりと、近くにいても聞こえるかどうかの声量で呟いた。

「……もう少し構って」

「は?」

 クリスは肩の力が抜けた。下を向いて溜め息をつく。本当に、この人は神様なのか? と、思った。精神年齢が幼いというか、子供っぽいというか。それとも寂しがりやなのか。顔を上げても、火の神はむくれたままだった。

「……」

 クリスは黙って彼の隣に座った。フィアは彼女の腕を引っ張ってもっと近寄るようにしめしたので、仕方なくそれに応じた。二人は隣同士ぴたりとくっ付いた状態のまま、そのままなにも喋らずにただ座っていた。火の神は多少、満足したようだった。

 

 

 

 結局、フィアの言った通り剣の外観は一番初めに考えたものを元にして細やかな装飾を施すことにした。クリス自身もそれが最適だと思った。アンジェリカ王女が城のバルコニーから国民に向かって挨拶をする時、その腰に携えられている剣。華やかな彼女に似合う、細身の美しい剣をクリスは想像した。

 外観が決まり、クリスと職人達は本格的な作業に移った。作業に入る前、彼女は自然と炉に祈った。どうか、自分の思いが形になりますように、と。炉に向かい静かに祈るクリスを見て、仲間達も同じように祈った。彼女の想いが、どうか火の神に伝わりますように。なにも事故が起きませんように。全てが成功しますように。普段は賑やかな工房だが、この日は全ての作業が粛々と始まり粛々と終わった。

 

 親方や仲間の協力のおかげで、装飾までの行程に多くの時間はかからなかった。仕上げの剣の装飾は、手伝いを借りながらも全てクリス自身が施すことにした。王室に伝わる剣の装飾の数々を自ら調べに城へ赴き、資料を借りては写し、借りては写しをした。宝石はほとんどなかったが、代わりに剣に彫りが入れられた。土の神が春の訪れのその初めに迎える、小さな花を。まだ若い王女を温かく迎えてくれる小さな花を、他の春の植物と共にあしらった。剣が遂に完成した時、クリスは安堵の溜め息をついた。遠目に見た時にやはり地味かなとも思ったが、凛と佇む自分の剣を見て笑みがこぼれた。

 

 出来上がった剣を、クリスは自分で王女に渡したいと思っていた。王室へそう申し込んだら、王女の家臣達は快く承諾してくれた。正装をして緊張でガチガチに固まった親方と共に、彼女は城へ赴いた。

 城の大広間を通り、この城にしては小さな応接室へ通された。部屋に入ると座るよう勧められたので、二人は長椅子に腰掛け王女を待った。しばらくするとぱたぱたと足音がして、はしたないですよアンジェリカ様! とたしなめられる声が聞こえた。扉が開く。久しぶりに会うアンジェリカの顔を見て、クリスは笑顔になった。アンジェリカもクリスの顔を見ると、嬉しそうに笑った。

「こちらが、ご依頼を受けた品でございます。どうぞお納めください」

 クリスはそう言ってアンジェリカに自らの剣を差し出した。アンジェリカは誕生日の贈り物をもらった子供のような笑顔で、今すぐ見たいからと自ら箱を開けた。見事な彫りの入った細身の剣が姿を現すと、その場にいた家臣達は黙ってしまった。アンジェリカはなにも言わず、剣をじっくりと眺めた。親方は王女と家臣達を冷や冷やしながら見回した。クリスは静かに、アンジェリカの言葉を待った。王女はそっと剣を鞘に仕舞うと、目をつむって抱きしめた。

「……嬉しい」

 王女は胸に剣を抱きしめたまま、そう呟いた。

「嬉しいわ……貴方が私を思って作ってくださったのが伝わってくる。本当に嬉しい。素晴らしい贈り物をありがとう、クリス」

 王女は、アンジェは年相応の笑顔で言った。彼女の笑顔に満足して、クリスも笑顔になった。

 

 正統な跡継ぎとしてアンジェリカ王女が国民に挨拶をした日、クリスは思い描いた光景そのものを目にした。華やかな衣装を身にまとったアンジェリカと、彼女を温かく迎える国民。そして彼女の腰を誇らしげに飾る自分の剣。アンジェに捧げる一本目を、クリスは晴れやかな気持ちで見送った。

 

 その日の夜、クリスは姉夫婦や鍛冶屋の仲間と共にお祝いをした。クリスはすごいね、と皆が彼女を褒めた。クリス自身も初めて一人前の仕事をしてことで自信がつき、とても嬉しかった。全てが上手くいった。クリスは充足感に満たされ、きっと同じように今日を喜んでいるであろうアンジェリカの姿を想像していた。ふと、暗がりの方から声がした。

「おめでとう」

 姿が分からない状態で、金と銀の瞳がきらりと見えた。

「どうも、ありがとう。神様に祝われるのはアンジェの方だと思うけどね」

「役割は裏方だったとしても晴れ舞台だ。変わりはない」

「そう? じゃあ、素直に受け取っておくよ」

 フィアは何故かそのまま暗がりに留まっていて、こちらに寄ってくる様子はなかった。いつもならすいと寄ってくるはずなのに。クリスは違和感を覚えた。

「……? なあ、こっちに来ないの?」

「夜は、本来ならば人には会わない」

「どうして?」

「そうだな……神だからだ、と言っておこう」

「なんだそれ」

「決まった理由は特にない。しかし、そういうものだ。神の夜の姿は人が見るものではない」

「ふーん……?」

「おやすみ、クリスティーナ」

「おやすみ……もう帰るの?」

「ああ」

「この前みたいに帰るのを渋ったりしないんだね」

「今だってそうしたいよ」

「フィア……」

「……また、夢で会おう」

 そう言って、火の神は山へ帰っていった。夢の中で再び会った彼は、少し寂しそうだった。

 

 

 

 王室から支払われた報酬のほとんどを、クリスは身の周りのために使った。日頃感謝してもしきれない姉夫婦へ。設備に手入れが必要になってきた工房へ。それでも手元にお金が残ると、クリスはどう使おうか悩むのだった。

「そうだ!」

 フィアになにか贈り物をしよう、とクリスは思い至った。なんだかんだ口喧嘩をしつつも、彼は自分が幼い頃から見守ってくれた火の神様なのだ。なにか、感謝を形にしないと。それに……最近彼はなんだか寂しそうだったので、元気づけたくもあった。

 

「あいつが喜ぶものってなんだろうな……」

 休みの日、クリスは街へ出かけた。日頃炉の前で火の神に祈ってはいても、神話をほぼ知らないクリスはまず図書館へ行って火の神について調べた。が、神話にこれといった神の好物が書いてあるはずもなく結局彼女は悩みながら市場へ買い物に向かった。

 一体なにが良いだろう……? 花? 宝石? 意外と読書好きだったら本とか……? 色々考えながら歩いていたら、人にぶつかってしまった。

「わっ。すみません……」

 顔を上げると、まさに今会いたかった顔があった。

「ぼうっとしてると、さらっちまうぞ」

「フィア!」

 クリスはぱっと顔を明るくした。フィアはクリスが自分に会って初めて嬉しそうな顔をしたので、驚いた顔をした。

「ちょうど良かった。あのさ、なにか欲しいものとか好きなものってない?」

「は? いきなりなんだ?」

「いや、実は王室から報酬をもらったんだけどさ。日頃お世話になってる人達にお礼で色々使ったんだけど、それでも手元に残っちゃって」

「自分のために使えば良いじゃねえか」

「フィアにもお世話になってるから、あんたに使ったらその残りを使うよ」

「ああ、そういうこと……」

「うん。だからさ、欲しいもの言ってよ。あー、そんなに高いものは買えないんだけどさ」

 フィアはちらりとクリスを見た。彼女は期待のまなざしで彼を見つめ返す。ぽつりと、火の神は呟いた。

「本当に欲しいものなら、目の前に」

「え? なんて?」

「そうだなー! 欲しいものねー」

 聞こえなかったのをいいことに、フィアははぐらかした。ううんと、彼は唸った。

「そうは言われてもな、俺は城から色々献上されてるから物質的には満ち足りてるんだよ」

「あ。そ、そうか……そう言えばそうだ」

「まあでも、お前のその気持ちは素直に嬉しい」

「うん」

「……物じゃなくても良いか?」

「うん、いいよ」

「じゃあ……そうだ、今からこの辺りで一緒に食い歩きでもしよう」

「え? そんなことでいいの?」

「それが一番良い」

「ふうん? 分かった。じゃあ、出店のある辺りに行こうか」

 歩き出そうとしたクリスを、彼は制した。

「ちょっと待った」

「なに?」

 彼はすっと手を差し出す。

「手」

「ん?」

「繋がせろ」

「え? なんで?」

「お前……ほんと鈍いよな」

「なにが?」

「お嬢様扱いさせろって言ってるんだよ」

 そこまで言われて、クリスはやっと一緒に出かけるという意味が分かったらしく顔を赤らめた。しばらく手を出すのをためらっていたが、ゆっくり彼女が手を出すとフィアは満足そうにその手を握った。

 

 

 

 手を繋いで、二人は港の近くに向かった。この辺りは港で獲れたばかりの新鮮な魚介類をその場で焼いてくれる出店などがたくさんあって、いつも賑やかな場所だった。適当な店に寄ると、小振りな貝がじゅうじゅうといいにおいをさせて焼かれていた。この貝はクリスの好物だった。

「ね、これにしよう!」

「ん」

「すみません、二つください」

「あいよー」

 二つずつ盛られた皿を受け取って、近くの石段に腰掛けて食べることにした。熱々の貝をふうふうと冷ましながら、クリスはふとフィアの顔を窺った。フィアはまた彼女の顔を見つめていて、目の前の貝はおろそかになっていた。

「食べないの?」

「ん? ああ」

 彼女に言われてフィアはやっと貝を口にした。まあまあだな、と言いながら咀嚼する。クリスも貝を口にした。じゅわりと貝の旨味が口に広がると、クリスは幸せな気持ちになった。

「おいしい」

 にこにこと笑うクリスを見て、フィアも微笑んだ。クリスはあっという間に二つ食べてしまって物足りなさそうにしていたので、フィアは自分の残りを彼女にあげた。いいの? と彼女がたずねるといいよ、と彼は返した。嬉しそうに食べているクリスを、彼は微笑ましく見つめていた。

 

「やっぱさぁ、あんたなんか変じゃない?」

「なにがだ」

 食べたり歩いたりを何度か繰り返した頃、クリスは歩いている彼にそう言った。フィアは自分から食べ歩きをしようと言ったにもかかわらず、おいしいものを食べて笑顔になっているクリスの顔を見つめるばかりで自らはほとんど食べようとしなかった。そして時々、ふと寂しそうな顔をするのだった。

「なんかちょっと元気ないっていうかさ、そんな感じに見えるよ」

「そう見えるか」

「うん」

「気のせいだろ」

 クリスはむっとした。彼女はだんだん彼のことが分かってきたが、彼は本当に素直ではないのだ。もしくは、気持ちを表すのが下手なのかもしれない。

「あのさ! ぼくはお前のこと心配してるの! 最近元気ないのは分かってるし、なんかこう……もう少し自分の気持ち言ってくれたって……!」

 クリスがそこまで言うと、フィアは繋いでいた手を離してふと立ち止まってしまった。

「自分の気持ち……?」

 嘲笑うような言い方だった。表情は……分からない。背を向けたまま、彼は続ける。

「……人間の寿命は良くて百年程度だ。百年もしないうちに人は死ぬ」

「そりゃまあ……生き物だからね……」

「お前もそのうち死ぬだろう」

「そりゃ、生き物だから。当たり前というか……」

「お前がいなくなったら寂しい」

 クリスは彼を見上げた。

「俺がお前を恋しく思っても、お前はその時もういない」

「それは……」

 思わずうつむいてしまった。彼にかける言葉が続かなかった。その通りだった。人間はいつか死ぬ、神はその先も在り続ける。世界が終わるその日まで。四人の神は、それぞれが独りぼっちなのだ。彼がクリスティーナを大好きでも、彼女は彼を置いて逝く。彼はもう先に訪れるであろう悲しみを今から知ってしまっていて、それを憂いていたのだと彼女は知った。

「なんてな」

 そう言って彼は振り返った。声色は明るかったが、その表情は寂しそうで静かな笑みだった。

「だから俺の名前も俺の気持ちも、お前にとってはどうでもいいことだ」

「そんなことない!」

 フィアは、いたたまれなくなってなにも言わずそのまま歩いて行ってしまった。クリスは、追いかけられなかった。悲しくて、胸がいっぱいになってそこから動けなかった。

「そんなことないよ……」

 彼女の言葉は、彼の背には届かなかった。

 

 

 

―火の遺跡 前編・完―