騎士の心

 

 

……………………土の遺跡

 

 

 金属同士が激しくぶつかり合う。乾いた大地の上で甲冑の騎士が二人、お互いの首を討取らんと猛然と戦っていた。永く思えた戦いだったが、決着はすぐにやってきた。金色の騎士の剣が黒い騎士の胴を貫き、黒い騎士は膝をついた。金色の騎士が剣を振りかぶる。身体が崩れ落ちたその瞬間、黒い騎士は誰かの腕に抱かれたような錯覚を覚えた。

 

「…………」

 随分と懐かしい夢を見たな。黒い騎士はそう思った。彼は川辺で休んでいたらいつの間にか眠ってしまっていたらしかった。ゆっくり立ち上がると、同じく近くで休んでいた愛馬に歩み寄る。鼻筋をなでてやると彼の愛馬、アウステルはブルルと小さく鳴いた。

 黒い騎士は名をガルドアといった。彼はある王国同士の争いにおいて戦場で命を散らした……はずだったのだが。

「……行こうか」

アウステルの手綱を引き、ガルドアは歩み出した。

 ここは妖精が住まう人の立ち入らない森。美しき忘れられた楽園。そして、その森にあるのは土の神が住まう花園と石の遺跡であった。

 

 

 

 アウステルに跨がりしばらく歩いた頃、森の中央にある花園に出た。ふと見やると妖精たちが楽しそうに談笑している。ガルドアは出来るだけ音を立てないようにその脇を通ろうとした。

「やだ、半端者じゃない」

妖精の一人がからかうように声をかけた。そばにいた残りの二人も彼に気付く。

「あら本当」

「やあね、暗がりにぼんやり立たないでよ。不気味なやつ」

「あっはは」

「……」

彼はもう彼女らにからかわれることには慣れていて、そのまま黙って通り過ぎることにした。

「ちょっと。なにも言わないで行っちゃうわよあいつ」

「やだやだ、陰気が移っちゃいそう」

「あはは、言い過ぎー」

気に入らなければ放っておけばいいのにと、ガルドアはいつも思っていた。

 戦場で事切れたものの、そのまま巡る魂の流れに乗ることも出来ず彼は妖精として再び生を受けた。なぜ私が? 考えてももちろん理由など分からなかった。戦場で幾人も殺し葬ってきた。やがては煉獄の炎に抱かれ魂すら灰になろう……それを覚悟して生きていたのに。元人間の中途半端な妖精。ゆえに、半端者。周りの妖精たちは彼をそう呼ぶのであった。

 

 ガルドアは森を抜け、土の遺跡の近くまでやってきた。幾度かこうして遺跡の近くまで来てみるものの、土の神の姿を見かけたことは一度もない。神の姿を知らぬのはこの森ではお前くらいだと、妖精たちは言っていた。別段、気にすることでもないと思っていた。元々は人の身、神の姿を知らぬ方が当たり前なのだから。

 ガルドアは来た道を引き返した。花園にはもうあの三人の妖精たちはいなかった。代わりに別の妖精が一人、花園の真ん中で横たわりまどろんでいた。今までに見たことがない妖精だったので、彼は思わず立ち止まってしまった。長い亜麻色の髪を花で飾った美しい乙女。なんとなく、森の妖精たちの中でも上位の存在なのだろうと思った。長いまつ毛に縁取られたまぶたが開くと、若草色の双眸があらわれた。

「そこのお方」

妖精の方から声をかけられた。ガルドアは一瞬そのまま立ち去るべきかと悩んだが、もしかしたら他の妖精たちと違ってのけ者にしないでくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、そっと馬を降りた。

「……私でございますか」

「ええ、そう。鎧を着た貴方。どうぞこちらにいらして?」

アウステルにその場を動かないよう指示すると、ガルドアは妖精の元へ歩み寄った。彼が近づくと、彼女はすっと右手を差し出した。起こせ、ということなのだろう。

「……」

手を取り、優しく引き寄せると彼女は半身を起こした。満足そうに瞬き微笑むと、ううん、と伸びをする。

「あら、もう随分と日が高いのですね」

半身を起こしても、彼女はまだ眠そうにしていた。一国の姫か女王を彷彿とさせる佇まいの妖精。あまりの美しさにガルドアはぼうっと彼女を見つめてしまった。彼の視線に気付くと名も知らぬ妖精は優しく微笑んだ。

「私がそんなに珍しくて?」

「いえ、そうでは。申し訳ありません」

「まあ、どうして謝るの?」

「どうして……」

「貴方は今何も悪いことはしていないでしょう?」

「……半端者に見つめられるのは不快かと思いまして」

「半端者?」

「妖精たちにはそう呼ばれております」

「まあ、あの子たちったらまた新入りをからかって。いけない子ね」

彼女は鎧越しにガルドアの頬を優しくなでた。

「ごめんなさいね。あの子たち、新しい愛し子が来ると決まっていじるのよ。およしなさいとは言っているのですけれど。一緒にお茶をしたいと素直に誘えないあの子たちの代わりに謝りますわ」

「……そうでしたか」

「だからどうか、自分がのけ者だなんて思わないでくださいね。貴方は祝福されてここへ来たのですから」

「祝福……」

神の祝福を受けられるほど、自分は純潔であったであろうか? いいや、そんなはずはない。だって私は――。

「私はなぜここへ招かれたのか、未だに分かりません」

「それは、貴方が望んだからでしょう?」

「私が?」

「そう。神の腕に抱かれることを望んだでしょう?」

「……いいえ。私は、私が望んだのは――」

言いかけて、ガルドアはいつの間にか背後にいたアウステルが妖精たちに囲まれて愛でられていたことに気付いた。

「貴方って本当に毛艶がいいわね」

「彼の馬でおさまっているなんてもったいないわよ。いい子、いい子ね」

「果物を持ってきたの。貴方にあげるわ」

会ったばかりの妖精に何を話す気であったのだろう? 彼は急にいたたまれなくなった。

「……もう行きます。失礼しました」

後ろから彼女が一言二言声をかけるも、その言葉は耳に入らず。ガルドアは半ば強引にアウステルに跨がりその場を立ち去った。

 

 翌朝、彼は小川のほとりで目を覚ました。森に住む妖精たちは己の定住する樹が存在するのだが、カルドアにはまだその樹がなく日によって違う場所で寝泊まりしていた。ふと顔を上げると、愛馬は小川で喉の渇きを癒していた。目を覚ました主人に気付くとアウステルは優しい眼差しを向けた。ガルドアも小川で喉を潤し、身体を清潔にした。

 ふと、水面に自分の顔が映った。妖精になった時、彼は自らの姿を見て恐れ戦いた。黒く焼け焦げ、ただれた皮膚。生きている者からかけ離れた醜悪な姿。望んだはずの罰だったが、いざ目にするとそれは心に深く傷を刻んだ。これが己の罪か。そう、感じた。未だこの醜悪な姿を誰かに晒したことはない。身支度をし、ガルドアは再び甲冑に身を包んだ。愛馬の手綱を引き、彼は今日も宛てもなく森を散策するのであった。

 

 またも、彼は土の遺跡に向かった。大きな岩が丁寧に削られ、秩序だって築かれている。大きな門扉の前に立つも、周りは静けさそのもので誰も遺跡の前に立つ彼をいさめはしなかった。こうして遺跡に来るものの、自分でもその後どうしたいのか分からず彼はいつも門扉の近くで佇むだけであった。

「……神はなぜ私を煉獄へ送らなかったのですか」

誰に聞かせる訳でもなく呟いた。心臓が焼けるような思いが襲ってくる。なぜ楽園に住むことを許されたのか? 己は罪の塊そのものではないか。いつだってそう思い、過ごしてきた。もちろん今も……。自らの感情に焼き尽くされそうになりながら、ガルドアは遺跡をあとにした。

 

 日が高くなってきた頃、彼は愛馬とともに花園へ向かった。普段談笑しているはずの三人の妖精はおらず、昨日見かけた亜麻色の髪の妖精がまた同じ場所でまどろんでいた。

「……」

ガルドアは馬から降り、彼女を起こさないように静かに歩み寄った。日の光に輝く髪は美しく、溜め息が出るほどだった。少しの間そこに佇んだが、彼はそのまま去ろうと思いきびすを返した。

「黒い鎧のお方」

目が覚めたのか、はたまた寝ていなかったのか彼女は自ら声をかけてきた。振り返ると、彼女は昨日のように微笑んでいた。

「どうぞ近くへいらしてくださいな。貴方を待っておりましたの」

「……私を、ですか」

「ええ、そうよ。昨日お話が途中になってしまったでしょう?」

「……あの話の続きであれば貴方様にお話しする必要はありません。どうかお許しを」

「では、別の話を」

「……無理に私に構わずとも」

「いいえ、私が貴方とお喋りしたいのです。どうかこちらへ」

彼女はまた手を差し出し、起こすのを促した。一度ためらい、しかし断れず彼女の手を取る。

「優しい人」

また彼女は幸せそうに笑むのだった。

「ここの暮らしには慣れまして?」

「……いえ、まだ」

「まあ。分からないことがあったら聞いてくださいな」

「……それならいくつか質問が」

「どうぞ」

「妖精に……仕事はないのですか?」

「ありませんわ。ここは楽園ですもの」

「そうですか。……一日中自由というのは慣れておらぬので、どう過ごしていいか分かりません」

「あら。昔はよほどお忙しかったのね?」

「……はい」

「花を愛でるもよし、誰かとお茶をするもよし。ですわ」

「出来ることならば、務めが欲しいところです」

「まあ」

「それに私は……」

「?」

私はこの楽園にいるのはふさわしくない。そう言いかけて口をつぐんだ。言葉に詰まった彼の手の甲に彼女は自分の手をそっと重ねた。日のように温かい手に心が安らぐ。同時に、自分にはもったいないと強く感じた。

「美しい方。差し支えなければ、貴方の名を聞いてもよろしいですか」

彼女は一度目を丸くしたが、満足そうにまた笑顔になった。

「私はエアルスと申します」

「私は――」

名乗ろうとしたところを、彼女は人差し指を立てて遮った。

「貴方は生まれたばかりでまだ名はありません」

「え……」

「ここに生まれた者は、土の神が名を付けるまで自らの名を決める必要はないのです。よいですね?」

「は……はい」

「いい子ですね」

彼女はそう言うと、昨日のように彼の頬をなでた。

「名の代わりになるものを名乗るのは自由ですよ」

「……それならば騎士と、名乗っても?」

「ううん……騎手ではいかがですか? 騎士は剣を振るう者でしょう?」

そう言われて、今の己は剣を携えていなかったことを思い出した。恐らくかつての身体とともに埋められてしまっただろう。

「では、そう名乗ります」

「分かりました。他の者にもそう名乗るとよいでしょう。それから、ねえ? 騎手殿」

「何でしょう」

「貴方、まだ自分の樹を見つけていないようですね?」

「ああ。はい」

「妖精の命は永いですから、出来るだけ歳の近い若い樹を選ぶとよいでしょう。ここでは樹は妖精に守られ、妖精もまた樹に守られる存在なのです」

「……成る程」

「他に分からないことは?」

「今は、特に」

「そうですか。また聞きたくなったらいつでもお言いなさい」

「はい」

いい子ですね、と彼女はまた言った。

 

 自分の樹を探すという目的が出来た黒い甲冑の騎手は、早速愛馬と森を練り歩くことにした。しかし探し始めて肝心なことを聞くのを忘れたと気付いた。そもそもどの妖精がどの樹に住んでいるのかも、どれが空いている樹なのかも彼は全く知らなかった。

「しまった……」

引き返して彼女にもう一度聞くか聞くまいか悩んでいると、離れたところでいつもの三人の妖精が喋っている声が聞こえてきた。そしてこちらに近づいてきていることが分かった。あの三人にはあまり会いたくないのだが、他に近くにいそうな妖精もいないので彼女らを待つことにした。ばったり騎手に出会うと、彼女らは何とも気まずそうに顔を見合わせた。一人の妖精が口を開く。

「な、なにかご用?」

「……実は、樹を探していて」

「え? ああ、自分の樹のこと?」

「そう。若い樹が生えているところを知っていたら教えて欲しいのだが」

三人は目配せで会話をするとこっちよ、と遺跡の近くに案内した。案内しながら彼女たちは今までの非を詫び、そして素直に聞けなかったであろう質問をいくつか投げてきた。それらに答えながら進むと、遺跡の裏門の近くに出た。ここは妖精たちでもあまり来ない場所であったが、他の若い樹は一通り主がいるとのことだった。

「裏門があったんだな」

「そうよ。でも滅多に私たちも人も来ないわ」

「そのようだな……。ここしかないのか?」

「残念だけど表側の他の樹はある程度大きくなっちゃったのよ。まだ新芽もないし」

「この近くにあまり寄り付かない理由を聞いてもいいか?」

「それは……」

答えようとした妖精は言い淀んだ。代わりに左隣の妖精が答える。

「それはね、遺跡の裏だからよ」

「……すまん、よく分からない」

「恐れ多いってことよ。神の後ろ手に住むのよ? 出来るだけ避けたいじゃない?」

「……」

それはやはり、普通なら勧められない場所に連れてこられたのでは?

「待って、勘違いしないで欲しいの。アンタなら大丈夫だろうってことなのよ。他と違ってちょっと特別だし」

「特別?」

「いくら慈悲深い土の神でも、人間をすぐ妖精に転生させるなんてこと滅多にしないの」

「そうよ。だからみんなアンタに嫉妬してるんだから」

ああ、そういうことか。今まで他の妖精に受けた視線の意味を彼はようやく理解した。

「なんだ、あれは羨望の眼差しだったのか」

「そうよ。気付いてなかったのね。憎たらしいったら」

「案外鈍いのね」

「”普通”を知らないからな」

「それもそうだったわ」

「そうね」

わいわいと話していると、どこからともなく声がした。

『おいうるさいぞ。新人め』

『お前と契約する変わり者なんていないんだからな』

『よりによってこの裏の森だぞ。あっち行け。しっし』

背の高い樹々がさわさわと喋った。彼らもまた騎手に嫉妬しているようだった。嫉妬と分かると、彼はもう気に留める必要もなかった。

「ではその変わり者を探すとしよう」

彼女たちに若い樹の見分け方を聞き、彼は寝床探しに専念するのであった。

 

 

 

 森の中央から離れた野原。亜麻色の髪が美しく風に踊らされている。乙女はまどろんでいた。ふと瞼を上げるとそこには赤い髪に金と銀の瞳の男が立っている。彼女はふわりと微笑んだ。

「あら、貴方からいらっしゃるなんて」

「調子はどうだ?」

「とてもよいですわ」

「それならいい。あの騎士は?」

「今は裏の森にいますわ。周りの子ともじきに打ち解けるでしょう」

「そうか」

「貴方が愛し子を掬い上げるなんて珍しいこともあるのですね」

「ただの気紛れだ」

「ふふ、嘘が下手ね」

「ふん」

赤い髪の男はぶっきらぼうに答えるとその場を去った。微笑んで彼を見送ると、乙女はまたまどろんだ。

 

 

 

 騎手は寝床探しを続けていた。いくつか良さそうな若い樹を見つけても、周りの高い樹がうるさいので決めあぐねていた。ふと、老木の近くを通りかかる。その下には新しい小さな芽が出ていた。

『寝床をお探しかね、若いの』

老木が話しかけてきた。

「はい。しかしいまいちこう、決定打に欠けて」

『周りがうるさくては眠れんだろう』

「……はい」

『この若い芽ならば空いているよ。これにするかね?』

「よろしいですか?」

『よいとも。これは次の私なのだがね。それまでこの老木が相手になるが、君がいいなら構わんよ』

「……この芽は貴方なのですか?」

『樹は死とともに同じ魂のまま生まれ変わるのだよ。お前さんも確かそうだったね』

「知っておられるのですか」

『妖精は噂が好きでな』

「……そうですね」

『では、新しい私と私をよろしくな騎手殿』

「いえ、こちらこそ。立派な御仁よ」

一段と背の高い老木はくすぐったそうに葉をこすらせ笑うのであった。

 

 翌日、騎手は日が高くなった頃に目覚めた。慌てて起きると、老木のオルドが声をかけた。

『おはよう騎手殿。熟睡しておったぞ』

「おはようオルド殿……いかん、寝すぎてしまった」

『はっはっは。今までゆっくり眠れなかったであろう? よいことだよ』

「いや、怠けるのは性に合わない。気を引き締めなければ」

『妖精は歌い踊りまどろむのが常だと私は思っているがね。君は少々自分に厳しすぎるな。君が安らぎを求めても誰も咎めはせんよ』

その言葉に、ふと今まで感じていた楽園での違和感を思い出した。そう、ここでは誰も自分を責めたりしない。それが不思議でならなかった。

「……なぜ誰も私を責めぬのだろう」

『……責められるようなことをしたのかね?』

「したとも。私は……俺は大勢を殺してきた。罪がないはずがない。それなのにこの楽園にいるんだ。おかしいだろう?」

『それは人だった頃の話だろうさ』

「今も変わらん」

『では聞くが、私が生まれ変わっても私は老木かね?』

「? いいや、新芽になったのなら貴方は赤ん坊なのだろう?」

『それと同じことさ』

「……分からん」

『君、やはり己に厳しすぎるよ』

 

 オルドに促され、騎手は森を散歩することにした。本当はアウステルにもくつろいでもらおうと手綱と鞍を外してやったのだが、彼は相変わらず主人のそばから離れようとしないので結局は普段通り手綱を引いて共に歩くのであった。

 森の中央に出ると、複数の妖精がエアルスの周りで宴を行っていた。歌い踊り、楽しそうに酒を飲みまどろんでいる。いつも見かける三人の妖精もそこにいた。

「あ、やっときた」

「遅いじゃない」

「……これは一体?」

「アンタが樹と契ったお祝いよ」

「初めて聞いたが」

「呼びに行ったけどアンタぐっすり寝てるんだもの」

「なら、起こしてくれれば」

「なんていうか起こせる感じじゃなかったのよ。それに宴なんて、主役が来るまでずっとやってればいいもの」

「……」

そういえば彼らは時間を気にする種族ではなかったな。妖精はいつだって気ままだ。

「騎手殿」

エアルスが声をかけてきた。すっと右手を差し出す。これが彼女なりのこちらへ来い、そういう合図なのだろうと分かった。恭しく手を取りひざまずく。

「ご機嫌よう。よく眠れまして?」

「はい。久方ぶりに深く眠れました」

「それはよかったですわ。あの樹はこの森でも特に背が高いの。生まれ変わろうともそれは同じ。その庇護は大きなものでしょう。ですからどうか安心してお眠りなさい」

「はい」

彼女への挨拶が終わると早々に近くの妖精が彼を突いてきた。

「ほらほら、主役なんだから歌うか踊るかしよう」

「いや、あの、それが私は歌も踊りもろくに出来ないので」

正直言って、こういう宴の場は苦手であった。剣以外のことは彼はさっぱりで、人であった頃はこっそり抜け出すのが常だった。

「出来ないなら覚えればいいのさ」

「いっとうに踊りが上手いのは誰だったっけ?」

「俺さ。さあさあ踊るぞ」

騎手は強引に手を取られ、数日に渡って踊りに明け暮れることになってしまったのだった。

 

 

 

 幾ばくか日が経ち、騎手は妖精たちに色々と聞ける仲にまでなった。主な話し相手はあの三人だった。幾らか分かったのは、大体が神話に記されているということだった。人間は楽園に生まれやがてそこを去り、魂の流れに乗り新たな生を受ける。つまり人間は妖精の魂が流れ着く先らしいということであった。魂が流れやがて終わりに辿り着くと、また妖精に戻ってくる。そういうことらしかった。

「だからね、妖精は最初から妖精なのよ。だから誰にも教わらなくても自分の樹を見つけるし、樹と契って初めて一人前になるのも知ってるの」

「そうそう。誰でも知ってることだから誰も教えないわけ。それがアンタは流転に逆らって妖精に戻ってきたわけでしょ? そりゃみんな驚くわよ」

「物珍しいって言われるのもそのせいなのよね。どれだけ幸運なのやら。ああ、やっぱり腹立つー」

「こらこら」

三人は己の好きなように喋り、彼はそれを聞く。騎手は愛馬をなでながら答える。

「運はない方だったが」

「ふうん?」

「信心深いわけでもなかったな」

「ますますどうやって来たのかわからないってことね」

「……私が一番困惑している」

「そりゃまあ、そうね」

「じゃあそのわけわからなさに、かんぱーい」

「ええ……」

「かんぱーい。おめでたい頭にー」

「あっはっは」

「おい……」

「あはは。とりあえず呑みなさいって。はい、乾杯」

杯が小気味よく鳴る。いいのか、それで……。そう思いつつも乾杯、と共に黄金の酒をあおるのだった。

 

 仲間たちと話しながら呑み、まどろむ。誰かが歌い、踊り出せば宴になる。深く眠りたくなったら、樹のもとへ帰る。楽園の日常にだんだんと馴染んできた頃、彼は自分に起きた変化に気付いた。鎧の下、焼けただれた皮膚は消え他の妖精のような美しい容姿がそこにはあった。生前と同じ顔ではなく、見慣れぬ美しい男の顔になっていた。水面を見ても、これが自分の顔とは思えずまた深く鎧を着込んだ。姿が変わったことが不思議で、それとなく友人たちに聞くとそれもまた妖精の常識であるらしかった。妖精は感情によって姿が変わり、恐ろしくもなれば美しくもなる。人の間で語られる恐ろしい妖精はある妖精の一面なのだと。それを聞いて、彼はぼんやりと過去に思いを馳せた。それが本当なら、私のあの焼け焦げた姿は……。そしてふと思い立ち、土の遺跡へ向かう。樹々をすり抜け門扉の前に立つ。初めてその門を叩いてみようと思い、手をかざす。するとそれを遮る声があった。

「元気そうじゃねえか」

声の方へ振り向くと、赤い髪の男が遺跡の柱に寄りかかっていた。周りの樹々は黙り、異様な静けさが満ちる。この者は人ではないのだなとすぐに分かった。

「……」

まずは敬意を払うべきであろう、そう考えひざまずく。元気そうだと言われても自分は彼を知らず、なんと答えるべきか悩んだ。騎手の行動を見て、男はフンと鼻を鳴らした。

「多少人間の頃の癖は抜けたかと思ったが、そうでもないなお前」

「……」

「兜を取れ」

「……は」

騎手は言われた通りにした。脱いだ兜を地面に置き、頭を下げる。男は少々乱暴に騎手の顎を持ち上げた。そこで、男が金と銀の瞳をしていることに気付く。騎手が騎士ガルドアであった頃、母国アロガンは死神の風神と剣神の火神を崇める国であった。燃える赤い髪に金と銀の瞳。それは紛れもなく火の神の容相であった。

「まあまあマシにはなったか」

「……火の神」

「そうとも。お前が欲しがった煉獄の主さ」

なぜ、私が。またあの思いがむくりと持ち上がる。

「なぜ私を煉獄へ落とさなかったのですか」

いつかの呟きを、彼は直接神へ向けた。あれほど乞うた罰を神は与えず、場違いな所へ自分を送ったと苦々しく騎手は吐いた。火の神は口の端を持ち上げて嗤う。

「それがお前がここへ来た理由だよ、騎士ガルドア」

火の神が眼前に手をかざす。轟音と共に周りは炎に包まれた。

「これが煉獄の炎だ。どうだ? お前にはぬるいだろう。俺ではなく風の神に罰を乞うべきだったな」

嗤い声と共に火の神は消え、周りは普段の森に戻っていた。自らを包んだ煉獄の炎は己を苦しめるどころかただただ温かく、それが酷く苦しかった。彼は慟哭した。うずくまり、心臓を掴むように胸を握りしめた。己の内側から流れ出る感情を止められずにいると、ふっと彼の頭をなでるものがあった。顔を上げずとも、それがエアルスの手であることは分かった。その手を拒むことも出来ず、彼はただ泣いた。彼女は騎手が泣き尽くすまで寄り添った。

 

 日も傾いた頃、遺跡の中でエアルスの膝に騎手は抱かれていた。これまでにも薄々勘づいていたが、もはや彼女が土の神であることは明確だった。神の慈悲を拒む気力もなく、彼は茫然としていた。泣き疲れた彼をあやしながら、土の神は静かに語りかけた。

「煉獄の炎は、己の罪を知らぬ者が初めて浴びるものなのですよ。それは罪を意識させるためのものであって、罪人を責めるものではありません。貴方は……貴方は己の罪を悔いていたでしょう? ですから、貴方は煉獄へ行く必要はなかったのです」

「……ならば、罪人が向かうのはどこなのですか」

ぼんやりとしたまま、彼は訊ねた。あれほど泣き尽くしてもまだ己を責める彼に、彼女は心を痛めた。

「罪人が行き着く先は死の都です。死の都には風の神が……。しかし彼も、貴方を招き入れませんでした」

「なぜ」

「……不要だったからです」

「そんなはずはない」

虚ろな表情の中に、怒りがにじんだ。

「俺は罰されるべきだ」

「いいえ」

そっと彼女は彼の頬を両手で包み顔を上げさせると、視線を合わせた。

「貴方の罪は、貴方自身が罰したのです。生まれ落ちた瞬間の焼き尽くされた姿がその証。誰もかも必要以上に、罰されるべきではないのですよ」

彼女は口付けをひとつ、彼の額に落とした。そしてしっかりと彼をその腕に抱いた。

「お眠りなさい、黒き騎士よ。貴方の罪は土に溶けて消えたのです」

 

 

 

 アロガン王国。かつて騎士ガルドアが生まれ落ちその一生を終えた国では、死してなお戦いに打ち勝った騎士たちを讃える祭が行われていた。国中が悦びに包まれていた。国のため戦いに殉じた騎士たちはきっと楽園へ導かれたであろうと誰もが信じていた。それは民ならず、高官や国王までもが。そして皆が全ての死者に祈りを捧げた。その祈りは、神々の遺跡にまで届いた。

 

 騎手は目を覚ました。土の神エアルスは彼の隣で眠っている。彼女を起こさぬよう彼はそっと寝室を抜け出した。

 彼は母国を思い出していた。渇き痩せた大地。それゆえ、他国を侵食しながら大きくなった王国。戦争が常である国。彼は敵を殺し、蹂躙し、屠った。部下も仲間も戦場で死んでいった。得るものも大きかったが、失うことの方が大きかった。やがて、王国の民からの死者への祈りが彼に届く。民は彼を祝福していた。

(違う。俺は祝福などされてはいけない)

彼はまた、彼を焼き尽くす炎をその胸の内に感じた。この感情は……ああ、そうか。窓を見る。日はまだ昇っていない。兜を被り、外に出る。何も言わずとも、アウステルが門扉の前で静かに主人を待っていた。彼は愛馬に問う。

「一緒に来るか、戦友(とも)よ」

アウステルは、静かに背を差し出した。

 

 夜が明けようとする頃、それは王の元へ突然やって来た。寝込みを襲われたと国王は慌てふためいた。すぐさま護衛が呼ばれる。しかし彼らはその姿を見て驚愕した。王国で最も愛された英雄、黒き騎士ガルドア。戦場で命を散らしたはずの彼が愛馬に跨がりそこに立っていた。

「ガルドア……!?」

「ガルドア様!」

「生きていらっしゃったのですね!」

国王も数少ないかつての部下たちも彼との再会に驚き、喜んだ。

「いいや」

彼らの喜びを騎士は短く遮った。

「俺は亡霊だ」

騎士は城から奪い取った母国の旗を掲げた。怒りをあらわにし、姿が変わる。旗と彼の身体が黒い炎に包まれる。それは煉獄の炎よりも深い、彼の無念と嘆きの炎だった。

「生きる者を殺した罪人に、辿り着くべき楽園も安息の地もない……!」

炎が彼の肉も骨も焼き尽くす。旗が彼の炎に応えるように大きく燃え上がった。愛馬もそれに応え、炎に包まれる。青ざめた馬と業火をまとった騎手が国王の前に立ちはだかった。その光景は今まで語られたどの魔物よりも恐ろしく、その場の全ての者が震え上がった。

「見ろ! これがお前たちが英雄と祀り上げた者の末路だ!」

黒き魔物は猛々しく告げた。国王はその恐ろしさに身分を忘れ、許しを乞うた。その浅ましさを見て魔物は高々と嗤った。

「愚か者よ! この姿を目に刻め! これがお前たちの罪だ! 思い知れ! そして畏れるがいい。お前たちが悔い改めぬ限りこの亡霊は永遠にあり続けるぞ!」

魔物はそのまま城中を荒らし、そして国中を吠えて駆け回った。彼はその慟哭を、民に知らしめた。もう二度と、己のような者が生まれぬように願いをこめて。国中の民が彼を畏れた。泣き喚き、逃げ惑う。彼を鎮めようと祈る者。彼の嘆きを知り後悔する者。あらゆる者が自分たちの過ちに気付き悔やむと、それを見届け彼は立ち去った。

 

 

 

 楽園へ戻ると、エアルスが静かに彼を迎えた。馬を降り、兜を外し、彼女の前にひざまずく。彼女はそのまま彼に問うた。

「あれでよかったのですか? 貴方はあの国を滅ぼしても誰にも咎められぬほど、その身に罪を背負わされたのですよ?」

「かつての私は国を守りたかった。その心も事実です」

「……」

「あの国は、まだ変われます。自らの過ちに気付いたのですから。それに」

彼は顔を上げる。その表情は穏やかなものだった。

「それでも変わらぬのなら、また脅かしに行くだけです」

彼女は彼の微笑みを見、哀れむようにそっと目を伏せた。

「優しすぎる人」

女神は右手を差し出した。騎手は近づきその手を取る。

「貴方に名を与えましょう。嘆きながらも他の誰も責めぬ貴方。貴方の名は、ニル・エアルス。女神に寄り添う者」

彼はその言葉に目を見開いた。彼女は微笑む。

「貴方がよろしければずっとここにいらして? 騎手殿」

「ああ……。この上ない幸せです」

 

 騎手が戻ると知ると、仲間たちも彼を優しく出迎えた。彼に新しい名がついたお祝いに、宴が催された。彼は、ニルはもう罪悪感から顔を隠すことはなくなった。彼は新芽となったオルドのもとで深く眠りについた。

 その後、アロガン王国は戦争をやめ土地を肥やすよう努力していった。時折、王国の近くに黒い騎手の姿が見えた。農民が手を振る。彼もそれに応え手を振った。恐ろしい魔物はやがて王国を見守る者となり、国中から敬われた。

 

―土の遺跡・完―